それではお城に行ってみましょう。スコットニー城という名前のお城です。後でみたら、このお城は630年くらい前に建てられたものだそうです。ということは、だいたい1400年頃、、、歴史年表で見たら、日本では室町時代で何とかの乱とかかんとかの戦いとかがいろいろ起きていた時期です。ヨーロッパでは中世の終わり頃に分類される時期で、まだ騎士とかお姫様とかがいたのかもしれませんね。どっちも今でもいることはいるけど、物語の中のイメージのような感じとはちょっと違います。
橋を渡って、、、小道を通って近づいていきます。お城と言ってもいろいろですが、大阪城とかベルサイユ宮殿とか、そういうのとは全然違って、このあたりの領主が住んでいたおうちという感じですね。宮殿とお城は違うのかな?
ほんとに中世そのままですね。。。
なんだかすごいことになっています。ほんとはこの奥までも行きたかったのですが、Tさんの立てたスケジュールは盛りだくさんなので、一ヶ所でゆっくり見ることはできません。
お城の中。天井が低いですね。昔むかし、こんなところで暮らしていたら冬は寒かったでしょうね。
いくら石造りの建物とはいえ、こういう建具はやっぱり傷んでくるだろうし、ガラスだってだんだん薄くなっていくはずです。維持は本当に大変だろうなと思います。
人が一人やっと潜り込めるような、小部屋とも言えないような隙間が作ってあるのは、「プリースト・ホール」、つまり「神父を入れる穴」と呼ばれる空間です。イギリスの国教はイギリス国教会(聖公会)ですが、これは政治上と言いますか、王さまたちのお家騒動が理由でカトリックから分離したもので、それに伴ってヨーロッパ本土から来ていたカトリックの聖職者たちの追放や迫害がなされました。でも、そんな聖職者たちをこっそりかくまっていた人たちも多く、そのかくまい方というのがこうして壁に穴を開けて押し込んでおくというものだったのだそうです。
こんなところにこもって、寒くて不潔で不健康だったと思うのです。そうしながらでもお祈りをしていたのでしょうね。
さて、戻りましょう、と思ったら、この方がど~んと道を塞いでるではありませんか。通行料を払わなければ通してもらえないシステムになっているのです。しかし私たちは毛虫も草も持ってないのでびくびくと脇をすりぬけようとしたら、シャーッ!と威嚇されてしまいました。カナダ雁、、、イギリス中で嫌がられているのも仕方のないことなのです。
なんとか無事に関所を突破して、先を急ぎます。次はどこに連れて行かれるのでしょうか。遠くのほうに黄色く見えるのは菜の花畑です。
途中の村は、やっぱりどうしてものどかとは言いがたい渋滞が続きます。
しかもイギリス人はこんな狭い道で結構なスピードで飛ばします。豪快な老婦人Tさんだけではないのです。そんなふうですので、サイクリングなどという命知らずなことをする人はほとんど全く見かけませんでした。一日で2人だけです。
さて、風景だけは田舎道の渋滞道路を行くこと数十分、次なる目的地に着きました。これはそこにたくさん茂っていた草ですが、うっかり触るととんでもなく痛い目に遭う、危険にして美味なるイラクサ(スティンギング・ネトル)です。若い葉を皮手袋で収穫して、加熱してスープにするととてもおいしいのです。Tさんによれば、これはほっとくとイギリス中を覆ってしまうほどはびこるそうで、ご自宅のお庭などでもよほど手を焼いておられるものと見受けられます。
ここもまた先ほど同様にナショナルトラストの管理するお城で、シシングハースト城というところです。ここにもやっぱり広くて美しい庭と小さめの古いお城がありますが、割と平和な歴史だったらしいさっきのお城と違って、こんどのところにはおどろおどろしくて血なまぐさい歴史があります。
しかし、とりあえずこの建物は血よりもホップの匂いがします。イギリス南部のこのあたりはビールの材料の一つであるホップという草をたくさん作っていて、これはそのホップのサイロのような建物だそうです。この変な形の屋根が特徴的で、割とあちこちで見かけました。
なお、お城の周りの広大な農地も含めてナショナルトラストの管理になっているので、森や池があったり、果樹園があったり家畜がいたりで、ゆっくり時間が取れるなら一日いても楽しめるところだと思います。
お城の歴史は古く、これまた中世にさかのぼります。知られている限りでは、最初はサクソン豚という種類の豚を飼っていた農場があり、その農場主サクシンハースト(「サクソンの村、丘、森など」という意味)家が邸宅とお堀を作りました。その家はもう残ってませんが、お堀の一部は残っています。古いドイツ語を起源とするハーストという言葉やサクソンという言葉からも分かるように、このあたりには古くからドイツの影響があるのだそうです。
その場所にやがて別の豪族によって新しく豪邸が建てられたのが16世紀の終わり頃だそうです。Tさんはこれも新築と呼ぶのかな?その建物が今も残るシシンハースト城ですが、18世紀の終わり頃にはこの家の人たちは財政的に行き詰っていて、お城の管理がうまくできない状況に陥っていました。そんなときに七年戦争と呼ばれる戦争が起こり、ややこしくてよく分からないのですが、イギリスではフランス人の捕虜を閉じ込めておく牢屋が必要になりました。
そこで国家が窮乏した城主からこのお城を借り上げ、シシンハースト監獄として使用したのです。ここに閉じ込められたのは3,000人もの船乗りたちだそうですが、彼らに対する待遇は相当ひどかったらしくて「シシンハーストに送るぞ」が脅し文句になったほどだそうなのですが、船乗りたちからの応戦も相当なもので、お城は滅茶苦茶に荒らされてしまったそうです。
戦争が終わって捕虜たちがいなくなったら、その後は荒れた状態のままで救貧院として利用されていましたが、やがてこの徹底的にボロボロのお城を買い取ろうという物好きな人が現れて、大変な努力の末に世にも美しい庭園が作られました。お城の内部も、もともと馬小屋だったところが赴きのある図書室になっていたりで、ほんとうに素敵です。
現在ではナショナルトラストの管理のもとでフルタイムの園芸家チーム(5名)と大勢のボランティアが働いているそうです。昔の自然なままの環境をできるだけ維持するように、トイレでは廃水や雨水を利用するなど、随所に細かい配慮もなされているそうです。
サイロの中はこうなってます。ホップを摘むときは一時的にたくさんの人手が必要なので、Tさんの若い頃などは貧しい家庭の多い東ロンドンから一家総出でやってきてホップ摘みをする人たちも多かったそうです。
これがお城ですが、、、
お昼時なので先にごはんにしましょう。この門の左側の建物の中にカフェがあるのです。
ちらっと門の中を覗いてみましょう。ここは実は納屋なのです。吹きっさらしですね。
納屋の前に座っていたおじいさん。あまりにもよく風景に溶け込んでいらしたので、お願いして写真を撮らせていただきました。
カフェレストランでは、園内の畑で採れた野菜や卵を使った料理を出しています。働いている人は若い人が多くて、こういう施設が地元の若者にとって大事な雇用の場所になっているということを実感します。
店内の様子。
家具のペンキがいい色ですね。
砂糖壷が三色で可愛いのですが、これはやっぱり飾り用でしょうか。
上にも行けます。たぶん、この建物も昔は納屋の一部だったのでしょう。