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失われた子供

ここ数日、比較的暖かい日が続いています。今日は一日中池の上にもやが漂っていました。来週あたりからかなり冷え込むそうなので、これだけ湿気があると底冷えするのだろうなと思います。それにしても、底冷えというのは具体的にどういう寒さなのでしょうか。調べてみましたら、体の芯まで冷えるような寒さだそうです。足元が凍るような寒さだから底冷えという、という説もありましたが、マイナス20度くらいになると足の指が痛いほどの寒さだし、しかしそれは底冷えという表現とは(私にとっては)違うような気がします。イメージとしては、湿気があって骨にじわじわと染みてくるような寒さ、という感じです。どちらにしても、あまり経験したくない状態です。ああ、やはりハワイに行きたい。1月の日本行きは取りやめて、ハワイに行こうかな。

ところで、昨日はちょっとした事件がありました。ある小さな男の子が私にとても反抗的な態度を取ったので、居合わせた先生が見つけて彼を叱りつけた、というものです。問題となったのはスイカ一切れ。熟れすぎてまずいのがあったのがそもそもの原因なのですが、彼はわざわざそれを指して欲しがり、私が「それはまずい。こっちにしなさい」と言っても聞き入れませんでした。仕方なくまずいのをあげたら、案の定、「まずいから他のに替えてくれ」と言ってきました。私は「まずいって言ったでしょう」と言っておいしいのと替えてあげましたが、彼はその一言が気に入らなかったようです。作り笑顔で受け取って「ああ、そう言ったねえ」とひねくれたことを言い、去り際にものすごく嫌な顔をしました。幼児と言っていいほど小さな体からは想像もつかない、ぞっとするような変化でした。また、叱られているときに彼のスイカの一部が床に落ちてしまいました。拾いなさい、と言った先生の言葉に対して彼の取った行動は、それを蹴って遠くにやる、というものでした。

そのときはなんだかものすごくショックでしたが、あとになって彼は中南米のある国で去年まで浮浪児だったということが分かりました。他殺率が世界一だか2位だかということで有名な国です。そんなところでたった一人で生き延びてきた彼は、もう9歳になるのに6歳くらいにしか見えません。栄養不良だったことは容易に想像がつきます。落ち着いた睡眠も取れなかったでしょうし、抱きしめてくれる人も、優しく声をかけてくれる人も、身の回りの世話をしてくれる人もいませんでした。1年前にカナダ人夫婦がどういう経緯か知りませんが彼を養子にしました。たった一年ではありますが、彼の英語はカナダの普通の子供とほとんど変わりないくらいです。実際には理解の浅いところも多いらしくて先生たちがつきっきりで指導しているそうですが、それにしても大変な成長です。態度にしても、私に見せた片鱗からも明らかなように、こんなに幼いのにギャングのような凄みと恐ろしさを持っていて、人間としての基本的なところを辛抱強く教えなければならないそうです。その甲斐あって、これでも一年前よりはずいぶん良くなったそうです。

こういうのは本当に複雑で難しい問題だなと思います。幼い彼が置かれた状況は過酷の一語に尽きるし、生き延びた彼の強さは相当なものです。でも、それは野良犬のような荒んだ強さです。ずる賢く、攻撃性があり、手の平を返したように一瞬で態度が変わります。それを拾って愛情を注ごうという新しいご両親の心は本当に頭が下がるものだと思うのですが、でも現実にはどうかと言えば、ご両親は拾ってきた彼をカナダで学校に入れなければなりません。もしも私が幼い子供を持つ親だとしたら、子供のクラスにそんな子が入ってきたら安心していられるものでしょうか。そして、親や先生の監視が行き届きにくいこうしたキャンプに送り出せるものでしょうか。

中南米の底辺の人々の凄みは恐ろしいものがあるし、ジプシーにしても同様です。カナダ化したジプシーたちであっても、やっぱり集団になると他の人たちとは明らかに違います。ジプシーたちが泊まった後の山小屋掃除はかなり壮絶だし、比較的豊かな南米の子供たちが泊まった後も、台風が来たのかと思うほどでした。そういうものをたくさん引きずってやってくる彼は、周りの子供たちにも何らかの影響を与えずにはおかないと思います。理想論として誰にでも平等に惜しみない愛情を注ぐことが大切だと言っても、我が子を守るという本能だって同様に尊重されなければなりません。この場合、養父母さんの育児を可能にしているのは周囲の協力がものすごく大きいなと思います。私も彼の背景を聞かなかったら、単に「末恐ろしいガキだ」と思っただけで終わったことでしょう。

結局、いろいろ考えた後で今日の朝小さな手作りのプレゼントをあげました。名前を聞くと、E君だそうです。嬉しかったらしくて、あとで指導員のお姉さんに見せびらかして自慢していたそうです。最後の食事の後でシェフたちと一緒に食堂へ出ると、子供たちが一斉に感謝の拍手をしてくれました。E君と目が合うと、彼は小さく手を振って、笑顔で親指を立ててみせてくれました。小さなギャング、E君。かわいい子供時代を取り戻せるといいね。
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by ammolitering6 | 2013-11-30 15:57 | Comments(1)

ともしび

暗黒の世界だったアウトドアスクール(の夜)に革命が起こりました。なんと、街灯が設置されたのです!なんでこれまでなかったのかというと、それは謎です。街灯と言っても、頭上から照らすタイプではなく、この通り、ごく低いものです。
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待ちかねた夜がやってきました。すごーい!さすがは街灯です。私の小さな懐中電灯とは比べ物になりません。これからは夜でもだいぶ明るく安全に帰れます。設置工事はかなり大変だったみたいですが、がんばってくれたメンテナンスのおじさん、どうもありがとうございます。なお、彼は明日からハワイに行くそうです。いいなあ、私も連れていってください。かばん持ちでも靴磨きでもします。どこか遠くへ、ただし南のほう限定の遠くへ行きたい気分です。
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キッチンの壁には、子供たちからの感謝カードがたくさん並んでいました。アウトドアスクールの料理は評判がいいのです。わざわざキッチンまでお礼を言いにくる子供や大人も少なくありませんが、こうしてカードまで書いて感動を表しているのは初めて見ました。これでスタッフにも食べ残しでないちゃんとした分け前が来るともっといいのになあ、と思いますが、仕方ありませんね。手弁当が基本の職場だと思えばいいわけです。なお、私の本日の食事は茹でたブロッコリーでした。
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by ammolitering6 | 2013-11-28 16:15 | Comments(0)

8年前

懐かしい写真を送っていただきました。8年前、私の髪は長くて、ジョンさんはすこぶるお元気だったのです。ロシア会館の最後の輝きはこの頃でした。手に持っているのは当時描いたガラス絵で、丸いののほうはロシア系カナダ人連盟のバッジのデザインに応募して見事採用されました。驚くなかれ、私はロシア系カナダ人連盟バンクーバー支部の役員までやっていたのです。純血種の日本人のくせに、図々しいのにも程があるというものです、ほんと。
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by ammolitering6 | 2013-11-27 16:30 | Comments(0)

ヨセフ様の謎

昨日クリスマスの絵本を買いましたが、その挿絵に少々の謎があります。こちらをご覧ください。なんだか分かりますか?
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答えはヨセフ様の頭です。これはどう見ても丸ハゲです。ヨセフ様ってお幾つなのでしょうか。Sさんによれば、ヨセフ様はいつでもハゲ頭のおじいさんとして描かれているそうですが、私は普通に若いお父さんという感じで描かれているのしか思い出せませんでした。これはいったいどういうことだろうと思って、ちょっと調べてみましたら。。。

一説によれば、ヨセフ様はマリア様と婚約したとき95歳だったのだそうです。それにしてはあちこち旅をしたりしてやたらとお元気ですが、彼は特別な方だし、年を取っても元気にしていられたのでしょう。でも、現行の聖書の中にはヨセフ様がそんなに年寄りだったという記述はどこにもないそうで、「違う!若者だったはずだ!」という意見もあります。どちらが正しいのかはタイムマシンに乗って見てくるしかないようですね。画像検索をしてみたら、3分の1くらいの割合でヨセフ様は白髪のおじいさんとして描かれていました。

なお、ヨセフ様は人生に危機が訪れたときに助けてくださる聖人として知られています。病院の名前に聖ヨセフとついているのが多いのはそのためです。イエス様とマリア様をお守りする役目の方なので、信者の身をも守ってくださる、という考えによるものです。キリスト教は一神教と言われますが、天使や聖人がたくさんいてそれぞれに役目もあるようで、結局は日本の八百万の神様と似たようなものだなと思います。
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by ammolitering6 | 2013-11-27 12:09 | Comments(0)

ビジュアルな楽しみ

今日はアーティスト友達のSさんと食事に行きました。いつもご馳走してくださってありがとうございます。出世払いのツケという条件なので、出世してしまったら多額の支払いをしなければいけません。うかうか出世してしまわないように気をつけようと思います。

いろいろお喋りしてから商店街をぶらぶらし、今時すっかり少なくなった本屋さんに行きました。本はインターネットで買う人が多いのだと思います。でも、やっぱり実際に手にとって見る楽しさは本屋さんでないと味わえません。これはそこで見かけた本。見るだけで買わない私のような客ばかりだから書店が潰れるのだとは思いますが、、、右側の本は「慌てず平然としていましょう」と書いてあります。そして左側のはその続編で、「さーて、パニックしてあたふたしましょう」と書いてあります。その昔、祖父は「安心せんでいい」が口癖だったそうです。心配したって安心してたって、どうせなるようにしかならん、という彼なりの哲学があった模様です。私は人生に関して死ぬときまでの暇潰しだと思っていますが、そのへんはもしかしたら遺伝的な要素があるのかもしれません。
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さらに見て回っているうちに、ついうっかり素敵な本を見つけてしまいました。これだから休日は家でじっとしていたほうがいいのですが、仕方ありません。こうして散財するために仕事をしているのだと言い訳しながら買いました。これまでにもたくさん本を買って、引越しのたびに手放してきました。これもそのうちにお別れするのかもしれませんが、イラストがほんとに魅力的だし、しばらくの間は手元にいてもらおうと思います。
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そして実は昨日もこんなものを買ってました。なんて可愛いのでしょう。。。やっぱりロシア風のイラストは私の趣味にぴったりです。世の中には他の国の文化にすっかりのめりこんでしまう小泉八雲みたいな人がたまにいるものですが、そこまでではないとは言え、私にもロシア方面に多少その傾向があるようです。
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by ammolitering6 | 2013-11-26 09:46 | Comments(1)

がっかりジューサー

少し休んで元気を取り戻し、さあ、お待ちかねのジュース作りをやってみよう!と張り切って取り掛かりました。部品を全部洗って、ニンジンを切って、コンセントを入れてスイッチを入れたら、、、おや、どうしたのでしょう。うんともすんとも言いません。他のコンセントでも動かないし、試しにドライヤーを差し込んでみたら、これはちゃんと動きます。じゃあパーツの組み立て方が悪かったのかと思ってもう一度やってみましたが、別に間違ってません。これはもしかしたら、と思って製造元を見てみたら、、、まあ、中国製だったからと言って責めるわけにはいきません。今時は何でもかんでも中国製なのです。しかし、スイッチをオンにして動きもしないなんて、どういう製品テストをしているのか不思議でなりません。

ものすご~く期待していただけに落胆も大きいです。返品交換の手続きをしたら「すみませんが、売り切れです」という返事がきました。それじゃあ単なる返品にしようとすると、アマゾンのページがそれをさせてくれません。今日は何だか、しようとすることがすべて裏目に出る星めぐりになっているようです。こんな夜はやけ酒をあおって寝てしまうのが一番、という気持ちになります。ニンジンは結局ココナッツオイルでゆっくり炒めて食べました。甘くておいしかったです。
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by ammolitering6 | 2013-11-24 14:02 | Comments(2)

思いがけない船の旅

今日はおよそ10日ぶりにバンクーバーに戻ってきました。アウトドアスクールを出たのは朝10時前くらいでしたが、バスのターミナルに着いてみると待合室がやたらと混雑しています。どうしたのかな、と思ったら、なんと朝早くにハイウェイで大きな事故があって、道路が全面封鎖されていたのです。まあ、全面封鎖と言ってももともと山の斜面に無理矢理作った片側一車線の道路なので、ちょっと何かあると簡単に全面封鎖になってしまいます。最近は寒くなって、道路に薄い氷でも張っていて滑ったのでしょうか、トラックと乗用車が正面衝突してしまったらしいのです。お亡くなりになった方々、大きな怪我をなさった方々、そして間近で目撃してしまった人たちや救助や取調べや後片付けをした人たち、、、みんなにとって、人生には何が起こるか分からないということを実感した一日だったことでしょう。はかないものだなと思います。

ともあれ、道路情報によれば、最初は「12時までには開くでしょう」だったのが3時~5時頃、それから2時~4時頃、それからついに4時~6時頃となりました。やっと開いても、大渋滞となるのは目に見えています。そうすると、家に帰りつくのは下手すると夜の9時くらいになってしまいます。これは困った、と思っていたら、待合室にいた人の一人が「船で帰るというオプションがある」という提案をしました。片道400ドル、しかし12人集まれば一人35ドルになる、というものです。私はあらかじめバスのチケットを買っていたし、これは返金が効かないので、港までのタクシー代とその後のバス代まで加えると50ドル以上になります。そこまでして早く帰るべきか、忍の一字で安上がりに待つべきか、と考えましたが、とうとう「6時までは開きません」というニュースが入ってきました。それでとうとう「よし、その話、乗った!」と決めまして、12人の最後の一人となったのでした。
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見知らぬ者たち同士12人が寒い港で船を待ちます。
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この船に乗りました。水上タクシーと言って、特にスケジュールはなく、呼んだらやってくる船であるようです。確かに、片道400ドル、つまり4万円くらいもするのであれば、そうそう乗り手もないものだと思います。
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船が来るまで桟橋のあたりを見て回りました。ごつごつとした大きな岩山は「酋長」という名前です。
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何だかいい感じの船がありました。
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材木がたくさん浮かんでいます。この辺りにはかつて製紙工場もありました。
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凍え始めた頃に船がやってきました!
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中はこんな感じです。案外広いですね。定員12人の船のはずが、38人乗りのがやってきたのです。
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運転室はこちら。狭いところに大きなお兄さんがはまりこんで運転していました。
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しばらくすると太陽が出てきました。事故は悲しいものだし、道路の閉鎖は不便なものではありますが、結局は思いがけず楽しい船旅をすることができたのです。
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船が水しぶきを上げています。うっすらと小さな虹ができていました。
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材木、、、たくさんありますね。これからどこへ行くのでしょう。
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滝が見えます。
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ちょっと外に出てみましょう。しばらくいると寒くなりますけれど、今日は寒さはそれほど厳しくなくて幸いでした。
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閉鎖されているのはこの道路です。いつも往復している道ですけれど、一歩間違えば海というのはこういうことなのです。がけ崩れでもあればバンクーバーから北部への交通は完全に寸断されます。
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無事に港へ着きました!船の中で、今日の運命を共にした人たちとお喋りをしていると、フィリピン人のおばさんが「あなた、泳げる?」と聞きました。こういう状況でそういうことを聞くのはやめてください、おばさん。私は一応泳げますが、最後に泳いだのはいつのことか、という程度です。それに、底が見えないところで泳ぐのは怖いし、さーて、せっかく船に乗ってるから海に飛び込もうか、とは思わないのです。
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そこからさらにバスと電車を乗りついで、やっと3時頃に帰りつきました。いやー、くたびれました。
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アパートの郵便受けには、先日アマゾンで衝動買いしてしまった商品の配達通知が入っていました。早く取りにいかないといけないので、重い腰を上げてもう一度出かけました。近くの郵便局に保管してあったのです。むやみやたらと大きな箱に入っていたので、がんばって持ち帰りました。開けてみたら、驚くほどいい加減なパッキングをしてあります。日本のアマゾンとはえらい違いです。
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じゃ~ん!健康ブームのお決まり、ジューサーです。前から欲しいなあという気持ちはあったのですが、何でも「よし、買おう」と決めてからはそれほどリサーチもしないでさっさと目についたものを買ってしまうのが私の悪い癖です。綿密に値段と性能を比較して、どっちのお店が安くてどうのこうの、ということが面倒でならないのです。しかし、これは割といいのではないかと思います。モーターがゆっくり回って圧縮しながら絞るので、酵素が壊れにくくていいのだそうです。しかも、こういうタイプは高いのですが、これはセールになっていたのです。

冷蔵庫の中にはニンジンが2本あるのみ。再び出かけて八百屋さんで大袋入りのニンジンを買う元気はありません。新品のジューサーのパーツを洗う気力もないのです。今夜はのんびり過ごして、明日の朝に(ごく少量の)フレッシュニンジンジュースを作ってみようと思っています。皆様の明日が安全なものでありますように。
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by ammolitering6 | 2013-11-24 12:06 | Comments(0)

ショックな事実

私は今、激しいショックを受けています。どうしよう、立ち直れないかもしれない。。。大好きでたくさん食べていた食用ホウズキがナス科であることを知ってしまったのです。しばらく前にセールをしてたのを見つけて、まとめ買いさえしてしまったというのに。。。アウトドアスクールでも、フルーツサラダに生のが入っていたら一人占めして食べていました。

欲張りの結果は節々の痛みとして現れました。もちろんホウズキだけの罪ではなく、いや、悪いのは私だけか、夏の間にトマトばっかり食べていたことも原因だと思います。調理設備のないアウトドアスクールの部屋で手軽に野菜を食べるにはトマトがぴったりだったのです。

節々の痛みにはナス科を避けると良い、と聞いて、ナスビ、トマト、ジャガイモ、ピーマン、唐辛子などを避け始めたら、途端に、と言っていいほどすぐに痛みが減りました。厳密に全く全然摂らない、というわけではなく、少々のスパイスなどは別にいいかと思って少しは食べたのですが、大幅に減らしていました。それでもホウズキは知らずに毎日のように食べてましたが、今後は泣く泣く諦めます。

クコの実(Goji berries)もナス科だそうです。生の写真を見たら、なるほどそうだろうなという姿でした。他にも、いかにも南米原産だろうなという名前のいろんな聞きなれない野菜がリストアップされていました。英語ですが、こちらにフル・リストがあります。痛いとか痺れるとかいうのは不便なもので、食べ物との関連がこんなにはっきりしていると、気をつけて避けようという気持ちになります。努力の甲斐あってだいぶ楽になったので、これからは基礎体力作りに励もうと思います。
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by ammolitering6 | 2013-11-22 04:06 | Comments(2)

犯人は誰か

早朝6時半、懐中電灯をつけて仕事に向かいましたら、建物の下に停めてあったバンがこんなふうになっていました。これは、、、信じがたいですけれど、おそらくは熊がバンのドアを自分で開けて、中に置いてあった生ゴミを漁ったのです。荒らしただけで食べた様子がないところを見ると、私が近付く物音を聞いて急いで逃げ出したのでしょう。せっかく入ったのに、食べる間もなく追い立ててしまってごめんね。

とりあえず散らかったゴミを片付け、ドアを閉めて鍵をかけました。昨日の夜バンに生ゴミを入れたシェフのおじさんは、「ちゃんと閉めたのに」と言って愕然としていました。誰も熊の姿を見たわけではないので、もしかしたら熊にとっては濡れ衣かもしれず、アライグマではないかと言うスタッフもいました。犯人が誰だったのにせよ、油断も隙もならないことは確かなようです。。。
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by ammolitering6 | 2013-11-21 13:12 | Comments(2)

私は以前、ロシア会館という公民館に入り浸っていました。建前としては文化会館、しかし実際には政治的にやや赤寄り、という存在の公民館です。かつては2度に渡って政敵による爆破攻撃を受けたこともありますが、それでも立ち直った頑丈な建物です。1920年代にユーゴスラビア人たちが建てたものを40年代初め頃にロシア人たちが買い取りました。最盛期には年に何度も盛大にコンサートを開いて、大人数のコーラスやダンスが行われていました。ロシア語教育も行われていました。
I used to visit a Russian community centre called Russian Hall very frequently. It was supposed to be a cultural place, but it had some political side as well. The place was bombed twice by their political enemy, but it survived the attacks. It is a very durable building. It was originally built by the immigrants from Yugoslavia in 1920's, and bought by Russian immigrants in the early 40's. In its prime, the Russian immigrants used to hold many grand parties and concerts there. They used to teach Russian to their children also.

今でも一応形だけは存続していますが、もはや昔日の面影はありません。数年前から売却の話がありますが、手続きが煩雑なので実現はしていません。私が最初にここに来たのは1997年のことですから、16年になりますね。その頃はすでに衰退期に入っていましたが、それでも年配の人たちが頑張っていました。さて、ロシア会館の実質的な最後の時代を率いていたのはこの方、ジョン・ニホダさんです。ロシア語ではイヴァン、あるいはイワンです。どこのマフィアかというような圧倒的な存在感がありますね。彼はベラルーシで生まれましたが、あのあたりの国境はゆらゆらと動くので、あとからはロシアになったそうです。
Russian Hall is still there, but it is nothing like it used to be. There has been a talk of selling the place for many years now, but it has not happened yet due to complicated procedure. I first came here in 1997, which is 16 years ago(!). It was in its decline then already, but there still were many senior citizens who were actively involved with the remaining activities there. The man who was leading them was Mr. John Niechoda, who is depicted in the painting below (reverse glass painting). There he looks as if he is a Mafia member. John had a lot of presence indeed. He was born in Belarus, but near the border with Russia. I think that the place he was born later became Russian territory since the border in that area move a lot.
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ジョンさんはずっとコーラスの指揮者をしていました。プロではありませんが、素晴らしいテノール歌手だったのです。お兄さんもそうだし、娘さんも若い頃にピアノで新人賞を取ったし、息子さんはミュージカルのピアニストをしています。これはもう、血筋なのでしょう。ご自宅にはレコードや楽器がたくさんありました。彼は音楽に秀でていただけではありません。ロシアの伝統をそのままに受け継ぐ自然人で、お元気な間はずっと狩猟、釣り、採集で季節の食べ物を集め、自ら保存食にしていました。なんと、銃まで手作りしていたのですから、柳の枝でキノコを入れるバスケットを編んでいたのも驚くには当たりません。家には食品乾燥器もあったし、地下室には彼が仕留めて奥さんが瓶詰めにしたムース(大角鹿)もあり、家族の大事な栄養源になっていました。ジョンさんは腕の良い料理人でもあったので、仕留めた獲物や採ってきた野草やキノコを使ってロシア会館のシェフとしても腕を奮っていました。
John used to be the conductor of the Russian choir. He was not a professional musician, but he sure was a fantastic tenor singer. His brother is also a great tenor singer. John's daughter won some award for playing piano as a young girl, and his son is a musical pianist. I think that music runs in their family blood. At home, John had a lot of records and musical instruments. Not only he was very good at music, but he was also a natural man who kept the tradition of Russia. As long as he was able, he hunted, fished, and foraged seasonal mushrooms and other edible food. He processed and preserved them himself, too. He was even making his own gun (I think that he assembled and decorated them), so it is no surprise that he was making baskets with willow branches for collecting mushrooms. He made his own food drier, and his basement storage was stocked with canned moose that he hunted and his wife canned. These were important food for his family. He was also a very good chef, so he worked in the kitchen at Russian Hall, often using the food that he obtained from nature himself.

そういえば、彼は職業はペンキ屋さんでした。足腰が弱って自分でペンキを塗るのが難しくなってからは、その辺にいる暇な者を捕まえて塗らせました。というわけで、私もロシア会館の玄関口の天井を塗りました。天井にペンキを塗るのはなかなか重くて難しいものです。夏で暑いのに、苦労しながら塗るのです。塗っていると、そこを通りがかった人が「やあ、いい助っ人を見つけたね。塗り方を教えてるのか」とジョンさんに声をかけました。すると彼は、「いや、逃げないように見張ってるだけだ」と返事をしました。うーん、そうだったのか、隙を見て逃げればよかった、と思います。彼は頭の回転がとても速く、面白い冗談をとっさに思いつくのです。
He was a painter by occupation. After he became old and painting became too hard for him physically, he grabbed some people with nothing better to do and made them work, so I was forced to paint the ceiling of the front eaves one summer. It is a hard, heavy work. Some neighbor walked by and said 'Oh, you found a good helper. Are you teaching her how to paint?" John replied "No, I'm just watching so that she doesn't escape". Had I known that, I would have run away while he was not watching! He was very quick-witted. He thought of funny jokes very quickly.

ご覧のように、この絵はとても小さいのです。これだけ派手な額縁が似合う人はそうそういません。10年ほど前になるでしょうか、BC州内陸にあるキャッスルガーという町に皆で行ったときに撮った写真をもとにしています。聞いたことのない方が多いと思いますが、ここにはデューカボルと呼ばれるロシア人たちがたくさん住んでいます。これはキリスト教の一派で、祭司を置かず長老たちがコミュニティーの人たちを率いることが特徴です。礼拝堂にも祭壇はなく、これはヒンズー教でも同じですが、誰も会衆のまん前に立つということをしません。右か左によけて立つのです。また、彼らは厳格な菜食で、非暴力を貫いています。音楽には楽器を使わず、アカペラだけで素晴らしい歌を歌います。
As you see, this is a very small painting. Not many people look good with this type of flashy frame. About 10 years ago, we choir members visited Castlegar in the interior BC. I took this photo then, and used it as a base for the painting. In Castlegar, there are many Doukhobors living there. Our Russian Hall kept good friendship with them, and also with other Russian and communities and communities from other cultures also, thanks to John. He came to Canada while he was still very young, but he kept his proud Russian identity and culture throughout his life. In his later days, he had many health issued and suffered a lot. But now that suffering is gone.

その昔、革命の前でしたが、兵役を拒否したデューカボルたちは国外退去を命じられまました。退去せよ、さもなくば投獄する、というものです。そのため彼らはロシアを捨てることを選びましたが、おいで、と言ったのがカナダだったのです。ところが、「来ていいけど、自費で来てね」ということだったので、行こうにも行けません。はるばる長旅をするのは大変なお金がかかるからです。困っていたら、トルストイが助けてくれました。本の印税で渡航費を出してくれたのです。今でもデューカボルの村にはトルストイの銅像があります。彼らは小さな村社会で自分たちの文化を頑固に守って暮らしていたので、カナダ政府は目障りに思っていたようです。そのため、かの悪名高い強制寄宿舎教育を行って子供たちのカナダ化を図りました。これは原住民に対するものばかりが知られていますが、小数派の移民に対しても小規模ながら行われていたのです。

それがどれくらい続いて、どれほどの影響を及ぼしたのか、私は詳しくは知りません。でも、狭い社会を窮屈だと感じ始めた若い世代はだんだんカナダ化して離れていって、今では全く普通のカナダ人のように暮らしている人も大勢います。それでも、礼拝では女性たちは赤ちゃんまでも全員頭にスカーフを被っているし、服装もスカートです。人々はロシア語で話すし、ロシア語教育も行われています。手作りの自然な菜食料理もとてもおいしいです。

ジョンさんはデューカボルではありませんでしたが、ロシア系の各コミュニティーとの連絡を密に取り、生まれてすぐにカナダに来てからずっとカナダで過ごしたにも関わらず、ロシア人として誇り高くその人生を生きました。晩年は健康に問題があって苦労なさいましたが、今日からはもうその心配はありません。
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今、カナダ中で大勢のロシア系の人たちが彼のことを思い出していることでしょう。私にとっては、一つの時代が半分終わったという感じがしています。私のことをいつも「私たちのヨウコ」と言って可愛がってくださいました。私は全然縁のなかったロシア文化を今ではとても親しみのあるものと感じていますが、それはジョンさんや奥様や他のロシア人たちが私を本当に暖かく受け入れてくださったからです。ジョンさん、出会えたことを光栄に思います。お元気で、というのも変ですが、天国のロシアで元気に野山を駆け回ってください。さようなら。
I think that lots of people in the Russian communities in Canada are remembering John now. For me, it feels that one era is closing. He always referred to me as "Our Yoko". Russian culture was something far away for me originally, but it feels like my own now. This is because Russians like John and his wife accepted me very warmly. John, it was my honor to have met you. May you be fit and healthy, and run around in the field of Russia in heaven. Good bye.
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by ammolitering6 | 2013-11-20 11:38 | Comments(1)