昨日、ある方から「佐賀の歌」なるものを教えてもらい、何だそれは、と思って聞いてみて「何だこれは」という感想を持ったのですが、それでふと思い出してこんなのを探してきました。私が子供の頃に引っ張っていた山車です。曳山の様子は昔とはちょっと変わったようで、昔は子供も一緒に神社を出るときから引いていたのですが、今では大人だけです。当時ももちろん、こういうのは危ないので子供は長い引き綱の先端のほうを持って走り、それも小さい子供から先に並びます。子供は男の子も女の子も参加できますが、大人は男性だけです。山車を荒々しく揺するところでは子供の綱は外して大人だけで行っていました。でも、今は子供は子供山という小さいのを別に引いてるようです。そして、山車を激しくがったんがったんと揺らしながら回る動作には別に名前はなかったと思うのですが、今はそれを「総がぶり」という変な名前で呼んでいるそうです。
そういえば、山笠の後にはおやつが貰えますが、それは必ず小さなスイカでした。当時佐賀県では干潟の干拓を大々的に行っていて、埋め立てた土地の塩気を抜くためにこれでもかというほどスイカを栽培していたのです。そのためスイカはほとんどタダ同然で、子供のご褒美にするにはあつらえ向きだったというわけです。拡大家族で町一番の大家族(これもほんとで、16人家族で新聞に載ったこともあります)だったので、夏にはスイカを何十個も買い込んでお座敷の壁沿いにずらーっとスイカが並んでいました。これを中庭にあった井戸で冷やして食べていたのですが、大人たちがスイカに塩をかけるのが私はひどく嫌でした。この井戸はずっと使ってましたが、やがて保健所の検査で引っかかって使用禁止になり、そのあとは普通の水道の水になりました。ぬるくてまずいな、と思ったのを覚えてますが、多少(?)のばい菌が入っていても井戸水のほうがおいしかったもののようです。山笠のときには沿道の人たちが水をかけてくれますが、そのときに井戸水と水道水はぜんぜん感じが違うのです。井戸水だとみんな喜んでたくさんかけてもらっていました。
なお、鳥栖の山笠の歴史については、子供の頃は「博多にもあるけど、うちが本物」と言い聞かされて育ちました。でも実際にはやっぱりそんなことはなく、鳥栖の山笠は博多のをこっそり真似して始めたものです。うちにはモナリザの絵もあって、大人たちはそれも「うちのが本物、どこかの美術館にあるのは偽物」と言ってたので、私が子供の頃に聞いた話は基本的に嘘っぱちばかりと思ったほうが良さそうです。
ともあれ、山笠を引いて育ったという事実は一応ほんとであり、私の祖父もこのSLの山車の上に乗って偉そうに音頭を取っていました。鳥栖というのは昔から鉄道の町で、SLが走るので鳥栖の洗濯物とスズメはススで真っ黒け、と言われてましたが、それもきっと本当でしょう。そして、長年SLの機関士を務め、昭和天皇の御用列車も運転したお祭り好きの祖父が中央区で威張っていて、山笠に途中から参加した中央区が山車のデザインを決めるときに彼の意見で無理矢理SLになった、という話も聞いた覚えがあるのですが、その真偽は定かではありません。
その佐賀の歌というのがこちら。主張したいことがないなら黙っていなさい、と思いつつ、「田んぼのほかに何もない」と繰り返すその内容にはどことなく納得してしまうのでした。真偽のほどはといえば、これもやっぱりほんとなのでしょうね。吉野ヶ里あたりに行くと、弥生時代そのままではあるまいかという風景がほんとに広がっているのです。