カボチャの季節
2015年 09月 22日
かぼちゃ、大きいですね。先日はついうっかりして左手の人差し指の先を切ってしまいました。念のために破傷風の予防注射をしてもらって、今は自分の油断を反省しつつ毎日ビタミンEを塗っています。
水辺まで散歩に行きました。水はきれいに見えるのですが、やっぱり大腸菌がたくさん入っています。先日のIOCO村の水辺の場合は大腸菌よりも原油と重金属による汚染のほうが深刻です。ひどい公害病が出るような汚染ではないそうですが、泳ぐのは勧められていませんし、地元の人はここで採れた魚も食べないそうです。でも、カニの養殖が行われているそうで、ちょっとびっくりしました。
木々の葉っぱが染まりかけていますね。
甘くておいしいイチイの実。誰も食べないので私が一人でたくさん食べられます。小鳥がこれを食べてるのは見たことがないのですが、やっぱり食べる鳥もいるのでしょうか。
浅い水のところに、、、
シーアスパラガス。惜しいなあ、もっと水が綺麗だったら採るのになあ、と思います。
とげとげの実。
カモメの子供たち。まだ少しふさふさしています。
これからたくさんやってくる難民たちの住居をどうする、ということを考えていました。まあ、私が「どうしようか」と考えてどうなるものでもないのですが、どうなるのだろうか、市長さんはどうするつもりだろうか、市民の反応にどう対処するつもりだろうか、と考えていたのです。住宅難が叫ばれて久しいバンクーバーですが、不動産価格が高騰した一因は中国からの富裕層が増えたことにあると考えられています。これはまあ、作って売るほうとしてはありがたい話ですが、地元の一般市民の手が届かない値段になってしまって、そのしわ寄せが来ていることが問題なのです。実際に私も一時期は事情でやたらと値段の高いマンションに住んでいましたが、お店のトイレ(一人用、車椅子対応、おむつ替え用テーブル付き)とほぼ同じ広さの部屋に9万円以上払っていました。これはあるとき「うーむ、ほとんど同じだな」と思って以来、どうしても頭にこびりついてしまったのです。このトイレにベッドを置いて9万円かい、と思います。マンション一つを5人も6人もの人たちがシェアしているのも珍しくありません。クローゼットに無理矢理ベッドを入れて貸している人もあるのです。
でも、ほんとの問題は住宅そのものが足りないことではなく、貧富の格差があまりにも大きいことなのだろうと思います。時給いくらのパートの仕事をしていて、奨学金の返済があって、そんな状態から抜け出せない人がたくさんいます。一方では、不必要なまでに贅沢な住宅が大人気という現実もあり、同じ地球上でいろんなことが起きてるな、と感慨深いものがあります。難民たちが来たら、このマンションの部屋の一つ一つに10人くらい住まわせれば、たちまち何千人かさばけますね。1階あたり100人というところでしょうか。バンクーバー市民の現実とあんまり変わらないし、無料なのですから多少狭いのも我慢していただかねばなりません。でも、待遇が悪いぞ、と言って文句が出てくるかもしれませんね。ドイツの場合は交通費や語学学校の学費も無料になるし、生活費も支給されますから、ウルグアイみたいに「出せ~、出せ~」となるかもしれません。でも、カナダもたぶんドイツと同じかそれ以上くらいの保障をするだろうし、そうなったら、何の補助もなく生活している貧困線ぎりぎりの市民の不満がこれまで以上にくすぶってくるだろうな、と思います。馬鹿馬鹿しいから仕事なんか辞めた、生活保護に切替だ、という人もますます増えてくるかもしれませんね。本当に、生活保護や失業保険があると、いろんなものがタダになってよっぽど楽なのです。