原住民女性アーティストの展示会 2
2015年 02月 08日
しばらくすると、おじさんの予言通りにスピーチが始まりました。話しているのはこの展示会の言いだしっぺであるらしいマスキアム族の女性で、ファッションデザイン画を描いた方です。簡単な挨拶のあと、お祈りを始めました。
彼女はまず、お祈りのときの手の形について説明しました。これは原住民の村の入り口にあるトーテムポールがしている手の形でもあり、神様やご先祖様の霊を迎え入れるときなどの尊敬の念を表す表現で、誰かと話すときにもこれをすると大きな敬意を示すことになるそうです。両手を見せることで武器を持っていないことを表すという意味もあります。これを説明したあとで実際に原住民の言葉でお祈りをなさいましたが、そのときはマイクから離れて生の声だけで祈られました。これは祈りの対象に対する敬意だそうです。そして、このお祈りの歌うような声がとても良かったのです。
後で祈りの内容を英語で説明なさいましたが、「この度はおかげさまでこちらの公民館でこうして展示会を開くことができました、ご協力くださった皆様に幸あれ、おいでくださったお客様に幸あれ、お守りくださった神様、ご先祖さま、ありがとうございます」という業務報告書みたいなもので、これは正教会のお祈りにも似ているなと思いました。節をつけて何やらいろいろと述べるのです。
それから5~6人のモデルが出てきて司会のおばさんのデザインによる衣服がお披露目されました。モデルはもちろん原住民女性たちですが、原住民と一口に言ってもかなり混血が進んでいるので、一見白人に見える人も多いです。ここで白いドレスを着ている子も白人っぽい見た目と体型をしていましたが、じつはデザイナーのおばさんの娘さんだそうです。
それから軽食が出ました。急いで行って、さっと写真だけ撮ってきました。クリーム色のはトウモロコシのヴルーテだそうですが、ヴルーテとは一体、、、何だろうと思って調べたら、フランス料理のソースだそうです。確かにスープというよりソースという感じでもってりしていて、小さなスプーンが添えられていたのにそれに気づかずに食べた私は非常に苦労したのでした。他にも、メープルシロップとかサーモンとかバイソンとか、伝統的な食材が使われていました。
料理をしたのはこちらの方、原住民のシェフです。フレンドリーなおじさんで、日本にも2回行ったことがあるそうです。
揚げパンもありました。これも伝統的なものでバニックというパンです。これがとてもおいしかったのです。いかにも小麦粉を練って作りましたという素朴な味なのですが、小麦の味はこんなだったのか、と感じるような味なのです。私は日ごろあまりパンを食べないし、ふわっとした菓子パンなど食べたら気分が悪くなったりするのですが、これはしみじみと味わえました。
お菓子も出てきました。
食べ物の周りが混雑してますね。司会の方は、こうして何がしかの食べ物を客人に出すことは友好のしるしで、食べた人は家族になる、とおっしゃいました。私もバニックをいただきましたが、これでめでたく遠縁の親戚くらいにはなったのかもしれません。
さて、食事のあとは後半のプログラムです。さきほどファッションモデルをしていた子はお尻まで覆うような見事な長髪でした。原住民は髪の長い人が多く、男性は禿げている人がほとんど全くいないように見えます。これはやっぱり遺伝的なものなのでしょうか。白人その他の普通のカナダ人は禿げることが多いので、8分の1くらいでいいから原住民の血が欲しかった、と切実に訴える涼しげなおじさんたちがときたまいます。
自作の詩をジャズ風にアカペラで歌うお姉さん。英語でした。
次は長老たちによるスピーチ。この方たちはダウンタウンの一番貧しい地域にある女性センターで虐待を受けたりした女性たちの支援活動を長年続けていらっしゃいます。それでもやっぱり状況は改善されてなくて、今でも女性たちの置かれている状況はひどいものだ、とおっしゃいました。いろいろなお話をなさいましたが、虐げられるままにずっと眠っていた女性たちが今アートを通じて目覚めた、とおっしゃったのが印象的でした。黙っていても何も変らない、発言したって簡単に変りはしないが、それでも声を出さねばいけない、と語るその声がとても穏やかだったのも忘れられません。
一本調子というのとも違うし、原稿を読んでいるのでもないから棒読みとも違うのですが、平坦というより平穏という感じで、ゆっくりと染み入るような話し方でした。英知を感じるこういう人はまさに長老の名にふさわしいのだろうなと思います。原住民たちが昔々、夜空の焚き火の周りでこんな声でいろんな話を語り伝えていた様子を想像すると、神秘的でもあります。
もう一人の長老の方は、強制寄宿学校での虐待体験の話などをなさいました。これも日本では知らない人が多いと思いますが、カナダは原住民文化を根絶やしにするために子供たちを親から引き離し、強制的に全寮制の学校に入れて教育しました。良かれと思ったのかしれませんし、もしかしたらほんとに立派な教師だっていたかもしれませんが、当然ながら子供たちはひどいトラウマを抱えて大人になってしまいました。性的な虐待もあったし、家族と離れて淋しいし、生まれつきの褐色の肌を「間違った」肌色だからと言われてゴシゴシとこすって洗わされたり、母国語にあたる原住民の言葉を使うと罰を与えられたりしたのですから、そりゃそうだろう、というものです。こうして精神的に病んだ人々が何百万という単位でいるのがカナダの原住民の現状です。この寮制度は割と最近まで続いていて、最後の卒業生はまだ40歳くらいなのです。
この長老も7歳から16歳まで寄宿学校に入れられて性的な虐待を受け続け、卒業した頃には体も心もぼろぼろで、道に出て売春するしか生きる手立てがありませんでした。白髪になった今では穏やかで知的な目をなさり、同じく虐待されている女性たちの支援活動をなさっています。長い道のりだったのだろうなと思います。
お話の後は、司会のおばさんが長老たちにお礼を述べました。でも、横並びのままでマイクを通してお礼を言うのは失礼だ、ということで、おばさんは長老たちの前に立って生の声でお礼をおっしゃいました。
最後に長老たちが原住民語でお祈りを始めました。これは決まった文句のあるお祈りであるらしく、観客も一緒に歌うように祈っていました。しばらくすると一人、また一人と片手を挙げ始めましたが、これも何か意味があるのでしょう。これも歌声がとても良かったので、終わりについ拍手をしてしまいましたが、ほんとはこういうのは拍手をしてはいけなかったと思います。拍手をしてしまったのは他にも数人いましたが私のような物を知らない無関係者ばかりであったようで、しまった、という感じですぐに終わりました。
今回の展示会の立役者の皆さん。おかげさまで素晴らしい体験でした。ありがとうございました。教えてくださったゆかさんにもお礼申し上げます。