恋の歌いろいろ
2014年 04月 27日
これも好きですが、このビデオは放送禁止になったそうで、そりゃそうでしょうと言いますか、、、バブルの時代、生活感のない高級で大人な女性のイメージを追いかけていたような風潮がありました。私もいずれ大人になったらそういう大人の女性になるのだろうと思っていましたが、実現したのは年齢ばかりで、当時の「大人の女性」の推定年齢など20年は越えたと思うのですが、なぜまだセクシーでミステリアスな大人の女になっていないのでしょうか。前提に何らかの問題があったとしか考えられません。
ボディコンなんてのもありましたね。思い返せば、あのかっこいい女性たちも一人一人それぞれにいろんな不安があったはずです。後になれば馬鹿だったと思うようなことをして、関わらなくていい問題に関わってしまったり、生活感満点の家族がいたり、しょうもない病気があったりお金がなかったり。思うに、人間というのは私にとっては大きさと材料に問題があるのです。心からあがめたり憧れたりするには小さすぎるし、消えてしまう材料でできています。今はやりの言い方をするなら、2次元でなきゃいけないということなのかもしれません。
こんなふうな男と女の関係というのだったら、まだしも理解できるような気もしますが、実際、恋愛の歌というのは関係がうまくいってないからできることが多いわけで、それは要するに根本的に相性が悪くてお互いにアレルギーであるのか、あるいは未熟で問題のある対人技術が原因であるかということが大抵でしょう。悲しい恋の歌を聴いていると、「なんでそういうことをする、振られたいのかね」というようなことを真剣にやって自滅する登場人物がいっぱいいるのです。
こういう古典的な歌謡曲って、今もあるのでしょうか。
この方はかっこいいですね。現実感と非現実感の絡まりあう描写が素敵です。
どんな恋をしても所詮はこうなるのかと思うと気が楽に、、、なりますでしょうか。
おまけ。私の地元の佐賀県の言葉をどうぞ。鳥栖のほうの言葉は少し違うし、今ではこんなに筋金入りの言葉を聴くことはあまりないのですが、佐賀も奥地へ分け入ると今でも佐賀語が健在で、通訳が必要だったりします。なお、佐賀県の権化のようなこの方、筑紫美主子さんは、実はロシア人とのハーフです。昔のことなので、相当な苦労をなさいました。